問うことの享楽へ向けて

 東浩紀の登場は、九〇年代の日本の言論界においては、間違いなく一つの事件だった。私は彼の文章に初めて接したときの驚きを、いまでも生々しく思い出すことができる。それは一九九四年のことだった。当時の私もまた、ささやかながら文章を書きはじめたばかりのころであり、しかも東氏が批判してやまない八〇年代的ポストモダン、すなわちニューアカ的な文体を駆使してのそれは、常に実践において現実に遅れがちな精神医学のパロディのような代物ではあったのだ。だから私の驚きは、言うまでもなく彼の「若さ」への嫉妬を多分にはらんでいたことも告白しておこう。
 東氏の文章は、その内容もさることながら、とにかく文体において新しかった。主語に「私たち」を用いること、まず問題設定をし、可能であれば問題の分類を試み、ありうる凡庸な回答をすべて想定した上で切って捨て、さて自身の回答を示すかと見せて、唐突にあらたな問題領域へと移動する。そこには書き手の自意識に汚染されたナルシシックな文章に対する嫌悪と、文体からあらゆる文学的側面をそぎ落として機能的側面のみを際だたせようという意志がかいま見えた。もちろんそうした態度が、彼なりの濃厚な自意識=美意識に接続していたからこそ、そこには「文体」があったわけなのだが。
 ところで、なぜ精神科医の私が東氏の文庫本解説などを書いているのか、不思議に思われる方も居るかもしれない。それゆえ、まずは私と東氏の関係から説明しておこう。私は一九九九年八月、ちょうど本書『郵便的不安たち』が出版された直後に、博報堂の雑誌『広告』誌上で、東氏と対談している。対談集『不過視なものの世界』(朝日新聞社)に収録されたその対談は、実に八時間以上にも及ぶ対話を大幅に編集したものである。この初顔合わせにおいて、東氏と私とは、現在に至るまで続く奇妙な対立=共闘関係の萌芽を確認することになる。対談において、われわれの関心領域は、映画、アニメ、ミステリーなどにおいて、かなりの程度重なっていることがわかった。しかし関心の方向性は、きわめて対照的なものだった。とりわけラカン的、あるいは否定神学的な発想への態度を巡っては、決定的とも言える対立があった。当時すでに東氏は、自らのデビューの舞台となった『批評空間』およびその周辺の一派とは訣別しつつあり、そのあたりの興味深い裏話も色々と聞かせてもらったのだが、今となってはすべて、忘却の彼方である。
 私は二〇〇〇年に『戦闘美少女の精神分析』(太田出版)を出版し、幸いなことにそれは東氏からも評価され、氏が当時担当していた讀賣新聞の書評欄で取り上げてくれた。いや、そればかりか、氏は自らのウェブサイト上で「網状書評」なる部門を設立し、その第1回目の評論対象として、『戦闘美少女〜』を指定して来たのである。筆者自身が参加し、しかも竹熊健太郎永山薫伊藤剛といった、それぞれの業界では名の知れた書き手たちと意見交換をするという場所は、その後ロフトプラスワンでのイベント、さらには二〇〇一年九月のイベント「網状言論F」−−私自身は同時多発テロの巻き添えでハワイから帰国できず、国際電話での参加という異常事態となったが−−へと発展的に継承され、現在、青土社で書籍化が進行中である。
 「網状言論」のメンバーとは、その後も定例会などで顔を合わせる機会があり、これとともに東氏とも親密な関係が続いている。それは二重の意味でよろこばしいことだ。第一は、もちろん東氏の人間としての魅力であり、それは思考の速度や汲めども尽きない饒舌、あるいは変節と矛盾を恐れない奇妙な一貫性といった形で記述できるだろう。第二には、親密な馴れ合い関係ではなく、決定的な対立という緊張感をはらんだ関係であるということ。この「対立」については、少し詳しく述べておこう。いずれも『郵便的不安たち』以降の話ではあるが、当時から今に至るまで東氏の態度は一貫しているから問題はない。
 「対立」は主として「ラカン」を巡ってのものである。東氏はラカン的な発想、すなわち中心に欠如としてのファルスを想定することで一種の全体性が確保され、そこから安定的に言説が紡ぎ出されるようなタイプの、いわゆる超越論的な思考パターンを「否定神学」の名のもとに切って捨てようとする。それは、本書に収録された批評空間誌上の対談『トランスクリティークと(しての)脱構築』において、もっとも明晰な形で表明されている。この限りにおいては、ジジェク岩井克人大澤真幸も、みな同様の限界を抱えていることになる。そして、こうした発想の一つの極限が「ラカン」ともくされているわけだ。もちろんこの対談中に浅田氏が指摘しているように、ラカンの発想そのものは、必ずしも否定神学的なものに限定されない側面を持っている。しかし、それは後期ラカンの一種の迷走がもたらした剰余物であるかもしれず、またわが国のラカン派、あるいはジジェクが継承しようとしている「ラカン的」なるものが、まさに否定神学的であることは疑うべくもない。だから訓古学的にはどうあれ、東氏の苛立ち、あるいは疑問はまったく正当なものだ。
 意外に思われるかもしれないが、その苛立ちは、私自身が長年抱えてきたものでもある。いささか狭い業界内部の話になるが、日本の精神医学界で八〇年代にピークを迎えた分野に「精神病理学」というものがある。いまや見るかげもない衰退ぶりだが、わが国におけるラカン受容は、精神分析ではなく精神病理学において、より活発になされてきた経緯がある。その理由のうち最大のものが、それまで分析不可能とされてきた「精神分裂病」(日本精神神経学会は「統合失調症」と改名、しかしここでは旧名称を用いる)を分析できるかもしれない、という期待であった。言うまでもなくそこには、分裂病という語り得ないものを語りたい、という強い欲望が潜在していた。そうした欲望のもとで、八〇年代後半から九〇年代前半にかけて、一部の強い反発を買いながらも「ラカン」は輸入され続けた。しかし結論から言えば、その導入ははかばかしい成果を得られないまま、現在の衰退に至っている。私の苛立ちは、まさにそうした経緯に向けられていた。
 それでは、私はいかなる態度を取り得ただろうか。その回答は、最初の著書『文脈病 ラカン/ベイトソン/マトゥラーナ』に示した通りである。その戦略を簡単に示そう。なるほど、ラカンのもたらした「真理」をめぐる言葉の磁場はきわめて強い。その言説は、人間における言語的なもの、厳密には欲望とシニフィアンが関与する営為については決定的な重要性をいまだ失っていない。しかし、そこまでである。シニフィアンの作用が及ばない地点において、ラカンはもはや失速するほかはない。とすれば、なされるべきはむしろ、「ラカン」の勢力圏を正確に測量することではないか。たとえば「分裂病」。たとえば「女」。そうしたものを、なぜラカンは明晰に語り得ないのか。私はここで、ラカンベイトソンという対立軸を仮に想定した。いずれも人の営みを分析しつつ、その記述法はまったく対照的である。ラカンベイトソン的な意味での「学習」「コンテクスト」あるいは「分裂病」を語ることが出来ない。しかしそのことは、ベイトソンの優位を意味しない。ベイトソンはむしろ「言葉」「記憶(トラウマ)」「神経症(ヒステリー)」などについて、決定的に語り損ねることになるだろう。
 そして、両者の境界線上にあるものとして私が想定したものが「顔」であり、顔としての「文字」でもあった。否定神学の限界をエクリチュールに見出すデリダ/東氏とは、この限りにおいて、問題意識を共有することができる。そこから先は、たんに戦略上の違いとみることも可能であるかもしれない。
 否定神学的な象徴界の機能はもはや終わった、と東氏は何度も宣言を試みる。それはあたかも「シニフィアン」に「エクリチュール」を、「手紙」に「誤配」を、「去勢」に「割礼」を拮抗させることでラカンを乗り越えようとするデリダにも似て、しかしデリダとも決定的に異なった身振りではある。デリダの戦略が、脆弱かつアンビギュアスな問題領域の呈示を反復することによって、ラカン的に強固なアンビヴァレンスの円環を解放することであるとするなら、東氏の戦略はずっと単純かつ明晰だ。それはまず否定神学的思考の剰余物を暗号化し、暗号をリアルな問いとして投げ続けることだ。
 アニメを語るに際しても、なかばは強迫的に、なおかつ否定神学的な回答を示そうとする私の戦略が「セクシュアリティ」に帰着するのはほぼ必然である。問いかけの構造上、そうなるほかはないからだ。『戦闘美少女〜』はそうした本であるし、その限りにおいては有意義な試みであったという自負はある。しかし「動機」は常に、欲望の論理に回収される。それは否定神学の明晰さと退屈さを同時にもたらすだろう。ここでも東氏は、さしあたりは問いに終始しつつ、回答に至ることを回避し続けるようにみえる。セクシュアリティをあえて語らないのはそのためもあるだろう。実はこうした姿勢は、デビュー作である『存在論的、郵便的』以来、一貫したものだ。「(七〇年代以降の、第二期の)デリダはなぜ、あのような奇妙なテクストを書いたのか」という問いが、その出発点だった。その問いには、ついには回答が与えられない。しかし私たちが驚かされたのは、問題が最後まで解かれていないにもかかわらず、この本の存在が異様なまでの明晰さを維持し得ていたという事実のほうではなかったか。
 本書『暗号と言霊』において明言されているように、東氏は「『読めないもの』に対する偏愛」に憑かれている。読めないもの、すなわち暗号である。浅田−東の対比で見ると、その特異性はいっそうはっきりしてくる。一見難解で複雑そうにみえる言説を、超越論的に整理して単純化し、それをもって答えに代えるという抑制のエレガンスが浅田氏の身振りであるとするなら、東氏はまさに浅田氏が整理し終えたものを、その地点からもう一度問い直すのだ。その明晰さを浅田氏は「問題の整理(と編集)」に用い、東氏は「暗号と問いの発見」に用いる。その違いはもはや資質の違いとしか言いようがないが、むしろ私が警戒するのは、自らの「問いに答える」という身振りが、ある種の鈍感さによるものではないか、という恐ろしい懐疑でもある。
 そうした東氏の特異性がもっとも良く見て取れるのが『庵野秀明は、いかにして八〇年代日本アニメを終わらせたか』という魅力的な作品である。この作品は、まだ『存在論的、郵便的』が出版される以前、批評空間での連載によって一部でその名が知られつつあった最中に発表され、別の意味で人々に大きな衝撃をもたらした。それまで「東浩紀」を、九〇年代における浅田彰現象の反復として認識していた人々(私を含む)は、その趣味的出自があまりにも異なることにショックを受けたのである。一部の漫画と映画をリミットとして、サブカル的なものを一切排除する浅田的な身振りに対して、ほとんど臆面もないほどのオタク嗜好に彩られたこの文章は、その意味で画期的なものだった。
 しかし、「ショック」はそこにとどまらない。その文章は、中沢新一ポケモンを語り、上野俊哉ガンダムを語る位相、つまり八〇年代的な言説の位相とは、全く異質のものだった。『季評第四回 エヴァについての一年半再考』にも明らかであるように、その文体は意識的に選択されている。語る対象がデリダであれエヴァであれ、論理的に語りさえすればエンターティメントたりうるはずだという信念が、この文章の恐るべき密度と強度を支えている。思想用語をちりばめるというペダンティックな「意匠」のサブカル論に慣れ親しんでいたわれわれは、ペダントリィ抜きでも高い知的緊張を維持しつつアニメを論じうるという可能性に驚いたのだ。
 もちろんこの文章においても、東氏はみずから立てた問いに答えていない。しかし、それは問題であるとしても些末なことだ。ちなみに私も、ご多分に漏れず「エヴァ論」をスタジオボイス誌上に書いた。そこで私は「答え」を出している。そう、「エヴァ」が境界例的な作品であり、そこには作家自身の葛藤が投影されており、境界例的であるからには、最終二話の破綻は避けられないのだ、というものだ。これはこれで一定の受容と評価を得た論ではあったのだが、しかし東氏は、この回答にけっして満足しないだろう。なぜなら「境界例ゆえに破綻した」という回答は悪しき心理主義にほかならず、「破綻しやすい性格だから破綻した」というトートロジーに過ぎないからだ。そうではなく、東氏の問いは、破綻に終わった構造的必然へと向かう。しかしそれは、きわめて困難な問いかけだ。
 心理主義に抵抗する以上、問いは時代背景、もしくは社会状況へと向かわざるを得ない。しかし今や、心理主義は状況全体にあまりにも深く浸透している。社会学と心理学、あるいは精神医学がしばしば交錯するのはこのためだ。つまり、どのように語っても心理主義に陥るほかはないという閉塞性こそが、こうした問いそのものを困難にしているのだ。だから東氏の抵抗は、そうした状況を鮮明に浮き彫りにする。その問いかけのリアリティは、このような状況のもとでもたらされたものだ。
 リアルな問い=暗号を探り当て、心理ではなく機能と効果に注目し、そこに構造的な回答を見出そうと試みること。このように整理してみると、それはまさしく、精神分析的な姿勢にほかならない。そうだとすれば、十分に練られた問いかけは、ほとんど「解釈」の投与と同じ効果をもたらすだろう。ありうるすべての答えを想定した後に放たれる問いは、ときには正解以上にリアルであるということ。ならば問いかけを回答をもって閉じようが、開いたままに終わろうが、どちらでも構わないはずだ。私もまた、精神分析家の基本姿勢として「判れば判るほど判らない」という箴言を念頭に置いている。すぐれた回答はすぐれた問いを誘発する。その限りにおいて、問いと答えは等価なのだ。
 東氏はどこへ向かおうとしているのだろうか。先に触れた対談での発言によれば、「複数の超越論性」について考えようとしているようだ。しかし、そんなことが果たして可能だろうか?その問いをより限定的なものにしておくために、ここはあえて、私からの疑問を呈しておこう。超越論性を維持するためのファルスとは「ゼロ記号」だ。いかなる実体も持ち得ず、いかなる存在も主張できないがための特権的記号、特権的位置なのだ。それはわれわれの「意識」における仮想的な中心、すなわち「(抹消された)主体」に対応する。この機能はもちろん、ファルスの単独性ゆえに成立するものであり、それはゼロと同じ機能を持つ数字がゼロ以外に存在しないことに対応している。複数に、つまり可算的になった瞬間に、ファルスは実体化する。そのとき超越論性は単なる超越性に変質し、体系はすぐさまスタティックなものとなってしまうだろう。そこではもはや、問いに対する回答の複数性など、とうてい許される余地はないのだ。
 なぜそのように言いうるか。一つは臨床的な根拠からだ。分裂病患者は、しばしばこうした「複数の超越性」を生きるように見えることがある。それは「妄想」と「日常的現実」のダブルスタンダード、すなわち二重見当識において顕著となる。そこでは二つの超越論的視点が葛藤を伴うことなく成立している。そして、こうした二重性こそが、反駁不可能な「妄想」という「解の単一性」をもたらしているのだ。
 分裂病においては、不断に自我が他者性を分泌し続ける。神経症における単一の超越論的な構造は、自我同一性のゆらぎや欲望の対象の無際限性を安定的に可能にする、すぐれてダイナミックな構造だ。その構造が破綻した状況、すなわち「象徴界の機能不全」こそが分裂病的事態であるが、そのさい自己は解体の危機にさらされる。それはあきらかに、激しい恐怖をともなう体験だ。そして、それを辛うじて統合するための弥縫策として選択されるのが「幻覚」であり「妄想」であるとされる。もちろんこういった目的論的な記述は誤りを含んでいるが、そうした症状が出ることで、患者が一種の安定に至ることは臨床的事実なのだ。
 中井久夫氏も指摘するように、分裂病患者には「単一の人格であり続けよう」という、狂おしいまでの努力がかいま見える。つまり、複数の超越論性がありうるとして、それがこのような病理的事態をまずもたらし、さらにはそれが「単一の人格」「単一の妄想」といった貧しい解しかもたらさないとすれば。もちろんここでいう「分裂病」とは、過度に理念的なモデルとしてのそれではあるが、東氏にはぜひ、この疑問についても十分に考えてみてほしい。
 ないものねだりついでに、もう少しだけ。最近の東氏は、文芸への関心はほとんど無くしてしまったかのような発言を繰り返している(例:斎藤環との対談「工学化する社会/動物化する人間」大航海No.42)。しかし、やはり彼はテクストの批評から撤退すべきではない。本書に収められた「ソルジェニーツィン試論」、「写生文的認識と恋愛」、あるいは本書には収録されていないが、『新潮』に連載された「文芸時評」などを読むにつけ、そう痛感する。その批評性が、今後サブカルチャーだけに向けられるとしたら、一読者としてひどく残念なことだ。
 私のような素人からみても「批評」はあらゆるジャンルで弛緩している。しかし、徹底して機能的たらんと欲する東氏の言葉のきわだった強度は、メタレヴェルなき批評性、つまり最も理想的な批評の可能性を信じさせてくれるものだ。そう、「批評」における安直なメタ志向こそは、悪しき弛緩の徴候なのだ。それはすべてを俯瞰する高みに立つと見せて、実は批評の制度を内側から強化する身振りにほかならないだろう。真に新しい言葉は、オブジェクトレヴェルで屹立する。「メタ言語は存在しない(ラカン)」とは、そういうことだ。自家中毒気味の批評業界にこそ、このように、真にジャンル横断的な知性が要請されているのではないか。
 以上のような私の問いかけに対する東氏の反応が、たとえ別の問いかけを開くことになろうとも、それはそれで構わない。私はいま、彼との愉しい対話の数々を思い返している。そう、そのとき私の目的は、およそ説得でも論破でもなかったはずだ。そこにあったのは、ただ問いの応酬という、享楽にも似たなにものかではなかったか。