とりあえず、遅まきながら…
最近めっきり邦楽は聞いてなかったし、もちろんRCもご無沙汰だった。ところが何を思ったか先月、iTunesで全アルバムを衝動買いしたばかり(持っていたのは全部LP)。まあ単なる偶然だろうけど。あといろいろ、個人的な感慨はゲームラボ(連載を私物化!)に書いた。
しかしいまさら「KING OF ROCK」とか言われると違和感がある。生前ホントにそう呼ばれてたっけ? まあそういうのはYAZAWAとか氷室とかでいいでしょう。
清志郎が天才であることは疑いようもないけれど、結局、誰も彼を継承できなかった。その意味で彼は影響したのではなく解放したのだと思う。だから彼は単独峰にとどまったまま、晩年はおとなしくキャラとして消費されていった。
それにしても…清志郎亡き後、ライブでスキャットを自在にこなせるヴォーカリストは? ディスコミュニケーションをリアルに主題化できる作詞家は? 連休中からずっと考えているが、日本人では彼以外にどうしても思い浮かばない。
彼の歌は情景的であると言うけれど、まったく同意できない。すくなくとも「描写的」でないことは確かだ。洗練された逆説とダブルミーニングに満ちた彼の詞は、意外なほどメタ視点が多くて単純な風景が浮かばない。
そもそも彼にとっての「ロックバンド」や「おいらのポンコツ」は、ビーチ・ボーイズの「サーフィン」みたいなものだ。
むしろ特筆すべき点は、彼の歌を聞いたときの「自分の情景」が一瞬でよみがえるということ。いわゆるフラッシュバルブ記憶。
受験の合格通知が届いて真っ先にしたことは、「雨上がり〜」を大音量で鳴らすことだった。つらい解剖実習は「BLUE」を聴いて乗り切った。はじめて「シングルマン」のLPを見つけた時の記憶は、捜し当てた店の名前から一緒にいた友人の声(「これ斎藤が言ってた曲じゃない?」)まで鮮明に覚えている。ラジオでたまたま聴いた「甲州街道は〜」に衝撃をうけてバンド名もわからないまま探していたのだ。ネットがなくて本当によかった!
病跡学的に考えるなら、清志郎は古今亭志ん生、浮谷東次郎、石原慎太郎、山田かまち、北野武に連なる、中心気質者の系譜における天才だった(山田と尾崎を混同している人が時々いるが、この二人に共通しているのは若いのに死んだってことくらい)。
その生を特徴づけるのは、近景における喜劇性と、遠景における悲劇性。生の歓びに満ちた祝祭空間に、ふと死の衝動がよぎる。時に彼らは「限りなく優しい人でなし」にみえる。しかし彼らのかいま見せる含羞と愛嬌は、日本人に最も愛されるタイプのそれだ。ついでに言えば絵の才能も、彼らの多くに共通する。
ところで、私は以下のことをずっと確信しているのだが、これは事実なのだろうか。
- 清志郎の口調はまず泉谷しげるによって模倣された。その泉谷の語り口に古今亭志ん生を加味して完成したものが、オールナイトニッポンにおけるビートたけしの話芸。
それでは良い旅を。あなたのゆく新しい道にも、数え切れない歌の断片が散らばっていますように。あなたの声がすべての星々を震撼させますように。さようなら清志郎。
(参考:http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200502/)