「『文学』の精神分析」河出書房新社
- 作者: 斎藤環
- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2009/05/14
- メディア: 単行本
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ここ10年間あまりに書いた文芸批評系の仕事から厳選しました。
お勧めは宮沢賢治論、三島由紀夫論あたりでしょうか。あと若気の至りで書いた(1)京極夏彦をdisりついでに日本の精神分析史を学ぼう編とか、(2)京極さんいいヒトだったんで今度は絶賛編という、著者の定見のなさが露呈した貴重な文章も収録。
以下目次。
「性愛」と「分裂」―宮沢賢治試論
他者としての「妻」―小島信夫『抱擁家族』再読
逆説の同心円―三島由紀夫論
超越性と情動の倫理―石原慎太郎『化石の森』
ヤコブの梯子、ジェイコブの路地―中上健次『十九歳のジェイコブ』
リアルで厳密で、すこし寂しい希望を―村上龍『最後の家族』解説
「精神分析」の呪縛―『狂骨の夢』批判的読解
京極堂との「会話」『狂骨の夢』再論
唯物論的ラブレター―中井久夫の「文体」
言語の谷間の夢の閾―多和田葉子
『残虐記』の二つの謎―桐野夏生を読む
予告篇による二〇世紀―古川日出男
傷つく人形―金原ひとみ
距離と祈り、あるいは世界の多重化に関する覚え書き―米澤穂信
解離、増殖、そして加速せよ―清涼院流水
「キャラ」の戦争
『キャラクターズ』じゃなぜ朝日新聞社を襲うのか―東浩紀と桜坂洋の共作
※ 表紙の鴻池朋子さんは7月15日からオペラシティで大規模な個展を開催予定です。
とりあえず、遅まきながら…
最近めっきり邦楽は聞いてなかったし、もちろんRCもご無沙汰だった。ところが何を思ったか先月、iTunesで全アルバムを衝動買いしたばかり(持っていたのは全部LP)。まあ単なる偶然だろうけど。あといろいろ、個人的な感慨はゲームラボ(連載を私物化!)に書いた。
しかしいまさら「KING OF ROCK」とか言われると違和感がある。生前ホントにそう呼ばれてたっけ? まあそういうのはYAZAWAとか氷室とかでいいでしょう。
清志郎が天才であることは疑いようもないけれど、結局、誰も彼を継承できなかった。その意味で彼は影響したのではなく解放したのだと思う。だから彼は単独峰にとどまったまま、晩年はおとなしくキャラとして消費されていった。
それにしても…清志郎亡き後、ライブでスキャットを自在にこなせるヴォーカリストは? ディスコミュニケーションをリアルに主題化できる作詞家は? 連休中からずっと考えているが、日本人では彼以外にどうしても思い浮かばない。
彼の歌は情景的であると言うけれど、まったく同意できない。すくなくとも「描写的」でないことは確かだ。洗練された逆説とダブルミーニングに満ちた彼の詞は、意外なほどメタ視点が多くて単純な風景が浮かばない。
そもそも彼にとっての「ロックバンド」や「おいらのポンコツ」は、ビーチ・ボーイズの「サーフィン」みたいなものだ。
むしろ特筆すべき点は、彼の歌を聞いたときの「自分の情景」が一瞬でよみがえるということ。いわゆるフラッシュバルブ記憶。
受験の合格通知が届いて真っ先にしたことは、「雨上がり〜」を大音量で鳴らすことだった。つらい解剖実習は「BLUE」を聴いて乗り切った。はじめて「シングルマン」のLPを見つけた時の記憶は、捜し当てた店の名前から一緒にいた友人の声(「これ斎藤が言ってた曲じゃない?」)まで鮮明に覚えている。ラジオでたまたま聴いた「甲州街道は〜」に衝撃をうけてバンド名もわからないまま探していたのだ。ネットがなくて本当によかった!
病跡学的に考えるなら、清志郎は古今亭志ん生、浮谷東次郎、石原慎太郎、山田かまち、北野武に連なる、中心気質者の系譜における天才だった(山田と尾崎を混同している人が時々いるが、この二人に共通しているのは若いのに死んだってことくらい)。
その生を特徴づけるのは、近景における喜劇性と、遠景における悲劇性。生の歓びに満ちた祝祭空間に、ふと死の衝動がよぎる。時に彼らは「限りなく優しい人でなし」にみえる。しかし彼らのかいま見せる含羞と愛嬌は、日本人に最も愛されるタイプのそれだ。ついでに言えば絵の才能も、彼らの多くに共通する。
ところで、私は以下のことをずっと確信しているのだが、これは事実なのだろうか。
- 清志郎の口調はまず泉谷しげるによって模倣された。その泉谷の語り口に古今亭志ん生を加味して完成したものが、オールナイトニッポンにおけるビートたけしの話芸。
それでは良い旅を。あなたのゆく新しい道にも、数え切れない歌の断片が散らばっていますように。あなたの声がすべての星々を震撼させますように。さようなら清志郎。
(参考:http://dw.diamond.ne.jp/yukoku_hodan/200502/)
「関係の化学としての文学」新潮社
2年越しで雑誌「新潮」に掲載された渾身の連載に、さらに大幅な加筆修正を加えました。「関係の化学」という画期的な発見もさることながら、各章ごとに章の内容をまとめた{要約すると}を追加、加えて東浩紀氏推薦、と売れる要素満載の一作です。
以下、「あとがき」より抜粋。
私はときおり夢想する。おそらく一九世紀における「小説」こそが、すべての虚構の王なのではなかったか。ゲーテ、ディケンズ、バルザック、ブロンテ姉妹、フローベール、トルストイ、ドストエフスキーといった巨大な名前たちを思う時、今後いかなる表現者も、個人として彼らほど人々に愛され、あるいは高く評価されるということはありそうにない。映画にはじまる視覚表現の環境的発展が、表現スタイルの多様化を招くと同時に、一世紀をかけて、ゆっくりと「文学」を凋落させていったのではないか。
おそらく「リアリティ」の八割は「諸感覚の階層的な同期」によって与えることができる。
私の考えでは「まんが・アニメ的リアリズム」の構成成分のほとんどが、視覚と聴覚の階層的な同期によって成り立っている。このとき、「描かれたキャラクターが現実の人間に似ているかどうか」は、実はどうでもいい。人の形をしている必要すらない。
重要なことは、絵の運動であり、これに音声、せりふ、擬音、その他の諸記号がシンクロして描かれることである。階層的に区分された感覚ブロックをシンクロさせれば、そこには必ず、一定量の「リアリティ」が発生するだろう(ちなみに、ゴダールのような「シンクロはずし」も、この原理をふまえなければ成立しない)。
このシンクロ構造の環境を調整しつつ、なんらかの形で「能動感」のブロックを追加したものが、東浩紀氏による「ゲーム的リアリズム」である。「環境管理型権力」のアイディアを深めつつある東氏が、批評においても「環境」に注目した「構造分析」を試みるのは、その意味で自然なことなのだ。
おそらくここで、「文学」に環境以上のものと求められるかどうかが、議論の分かれ目となるだろう。
もし小説が、完全にサブカルチャー化してしまったと考えるなら、この議論にはもう結論が出されている。リアリズムのスタイルを他ジャンルに依存するほかなくなった「文学」は、とっくに死に絶えている。すでに脳死した文学を「文芸誌」という延命装置が何とか持たせているに過ぎない、というわけだ。
しかし私は、そうした判定にくみしない。ジャンルの多様性は、むしろ「文学にしかできないこと」の位置をあきらかにしてくれるだろう。それこそが、本書で私が追求したテーマである「関係の化学」にほかならない。ただちに異論が出されるだろう。映画にも、漫画にも、関係の化学はあるはずだ。現にこの本でも、映画や漫画への言及は少なくないではないか。
そうした異論に対しては、私は次のように応えるだろう。
なるほど、確かに映画や漫画にも、関係の化学、すなわち関係平面の作動は起こりうるだろう。しかし、その作動は小説に比べて、はるかに多くの制約を被ってしまう。それは制作システムによる制約であると同時に、もっと本質的な違いによるものだ。
関係の化学の作動を支えているのは、シニフィアンの運動である。もしそうであるなら、言語を直接の素材とする小説が、もっとも化学反応を呼び起こしやすいのも当然だ。おそらくここで逆転が生じる。映画や漫画は、こと関係平面の作動については、小説的リアリズムに依存せざるを得なくなる。例えば武富健治の漫画作品『鈴木先生』(双葉社)は、そのような意味で「文学的」な作品なのである。
そう、どれほど衰退が叫ばれようと、小説が読まれ続けるのは、ひとつにはこうした「関係の化学」の享楽ゆえである。他ジャンルの追随を許さない関係性のリアリティゆえに、私はインフラとしての「文学」制度を擁護する。本書はそのためのマニフェストにして、いまだ探求の端緒に過ぎない。
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●朝日新聞で100アンサーズを担当しています。掲載率は約50%。次回は2月1日掲載の予定です。
●あと何冊か、文庫の解説を担当しました。
- 作者: 中島義道
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/06/15
- メディア: 単行本
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- 作者: 中上健次
- 出版社/メーカー: KADOKAWA
- 発売日: 2009/01/11
- メディア: 文庫
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- 作者: 森川嘉一郎
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2008/12
- メディア: 文庫
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●Voiceのウェブ連載「『虚構』は『現実』である」もはじまりました。
今回は第2回「あらゆる関係はS−Mである」。日本橋ヨヲコ「少女ファイト」を取り上げています。
●書評ブログ「書評空間」も更新しました。ようやく書評本数の最下位脱出です。
今回の本は『発達障害当事者研究―ゆっくりていねいにつながりたい』綾屋 紗月、熊谷 晋一郎(医学書院)
これは真に驚くべき本です。特に以下のくだり。
音声に手話がついて、『両方を同時に』表されたとき、不思議にも、情報が増えているのに感覚飽和にならず、急速な意味理解へとつながる。
ここにはあるいは、あの「フレーム問題」を乗り越えるヒントが潜んでいるかもしれません。